本物の音楽(闘病日誌より)


 iPodの差し入れも、所持には主治医の許可が必要とかで、ナースステーション預かりとなる……

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(前略)

 iPodが戻って来た。ただし充電器とケーブルはナースステーション預かりとなった。

 入院して二週間、音楽を聴いていない、聞こえるのはラジオ体操の伴奏と、その前に流れる変なBGM、あとはテレビからの雑音ばかり!!

 その昔、まだ中学生だった頃、学校に愛想をつかして登校しなくなり、部屋にこもるようになった時、私の側にはいつも音楽があった。ロック、ハードロック、ヘビメタ、ブルース、ジャズ、クラッシック、ラテン、フォルクローレ、タンゴ、サンバ、アフリカン、J-POP、演歌、音楽は常に私の側にあった。


 二週間ぶりに聴く音楽、まず始めに聴く曲はもう決めていた。ベートーベンの「交響曲第九番 第四楽章”合唱つき”」いわゆる第九、「歓喜の唄」だ! フルトヴェングラーとカラヤン、二人の名指揮者の名演奏がこのiPodに入っている、どちらを聴くか。

 ここは緻密な美を謳うカラヤンよりも、モノラル音源ではあるが、一気に歓喜へ駆け上るフルトヴェングラーの第九を選んだ。

 デイルームの窓際に椅子を運び、窓に向い腰を降ろす。すでに日は沈み、外は真っ暗である、窓はひどく汚れて、空を見上げることもできないが、私はこの窓の先にある、星空、宇宙へ想いを馳せ、ヘッドフォンを着ける、ボリュームはフルだ。


 目を閉じると、そこは暗黒の世界、どこなのかは解らない、静かに光が射し込み、淡い光に包まれた世界となる、光は和らぎ、辺りに目をこらすと、そこは深い森の中だった。森の中を進むと突然視界が開け広い草原に出る、空は満天の星空、草原の向こうにも森があった、ここは広大な森の中に出現した、草原の大ホールなのだ。中央には光り輝くオーケストラが現れ、バスの独唱が始まる。

 私は光のオーケストラの前へ進む、壮大なシンフォニーと華麗な合唱に包まれる。

 やがて光のオーケストラは、徐々に空へと上り始める、それはどんどんと高さを増し、やがて星空の中に煌煌と輝くひとつの点となる、私もその元へと宇宙に向って舞い上がる。

 虚空に響き渡るハーモニー、やがて光のオーケストラは、一気に散らばり、宇宙の星星の中へとけ込んでしまった。私は虚空に一人取り残される。

 しかし星々の中へ帰っていった光のオーケストラは、天蓋を響かし、星々はステップを踏みながら舞い始めた、私は踊り跳ねる星々に取り囲まれて、音楽そのものに身を委ねる。

 それは心地よいものだった、自分と音楽だけの世界。私は星々と共に大宇宙を飛び回った。

 眼前に地球があった、母なる星、しかしそこには様々なものが見えた。戦争、飢餓、虐殺、核の脅威、虐げられる者たちの哀しみの瞳、驕れる者の猜疑の眼差し……、そして明日を見つめる輝ける眼。

 あちらこちらで人間の団結を求めて立ち上がる人々、様々な民族、様々な階級の人々が行進している。あそこにも、ここにも、地球の至る所で、善の連帯、人間の尊厳を訴える行進が……。

 やがてその行進は、地球全体を覆い尽くすかのように膨れ上がる、そしてその行進は様々な色の光となって、地球を駆け抜ける。

 今、地球は色とりどりの眩しい光輝となる。私もその光の中に飛び込む、光は光の速さで駆け抜ける、私自身も光となって駆け抜ける。光には光しか見えなかった、様々な色の光たちは、やがてひとつの金色の光となり、宇宙へ向って走り出す、宇宙へ飛び出すのだ!! 大いなる歓喜とともに!!


 ヘッドフォンから聴こえる拍手の音に、私は呆然と目を見開いた。

 目の前にはデイルームの汚れた窓、固いスチールパイプの椅子に腰掛け、涙を流している私。二週間ぶりに聴く本物の音楽は、二十五分間の夢を見せてくれた。私の心に残ったのは、一人では抱えきれないほどの歓喜だった。


 私は椅子を片付けた。すぐ側ではA君とBちゃんがテレビを見ていた。私は少し寂しさを感じ、ただ一言、

「二週間ぶりに“音楽”を聴いたよ」

とだけ言い残し、病室へ戻った。


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 実際に鑑賞したのは、51年のバイロイト音楽祭のライブ録音です。

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