「あだ〜〜〜〜〜〜〜!」
病室内に吉井のじいさまの声が響き渡る、この病室へ移動して、二日目にはもう慣れていた。
閉鎖病棟から、この開放病棟へ移動してきた日の事。
その時に案内してくれた、病棟主任の風間さんは、白衣を着ていなければ、とこぞの組の若頭、といった風貌である。いや、根は真面目で、とても信頼の置ける、皆から慕われている主任ですよ。すごくイイ男だし、ただ角刈りが似合い過ぎてるだけで。
その風間主任の説明によると、
「吉井さんは少々耳が遠くて、時々大きな声を出して気合いを入れますけど、危害などは加えないので安心してください」
とのこと、よく意味は解らなかったが、とりあえずその時はうなづいておいた。
吉井のじいさまは不思議だ。まず開放病棟にいる事が謎だ。
吉井のじいさまの枕元には、必ずトイレットペーパーが置いてある、「カーッ、ペッ」をするためだ。これは定番。
ある朝などは、女性スタッフ 2人がかりで、じいさまの口に手を突っ込んで、悪戦苦闘している光景を目撃した。じいさまが、入れ歯を真っ二つにしてしまったのだ。
病室内では、ベッドに寝ているところしか見た事がない、聞くと 91歳だという。では寝たきりか? というとそうではない、ベッドサイドにはしっかりポータブルトイレが設置してある、足腰立つのである。
そして吉井のじいさまだけが、無線のナースコール・カードを持っている! この病棟には、ナースコールなんてトイレくらいにしかついてないというのに。
きっと食事は部屋で摂るのだろう、と思っていると、ちゃんと食堂まで歩いて来る。たいがいは若い介護士か看護士(もちろん女性)に介助されながらだが、けっこう早く歩けることを私は知っている。たしか一度転んだという話も聞いた。
若くて美人(私に言わせれば、この病院スタッフの中で、ナンバーワンの美人)の矢野介護士に付き添われて、食堂まで来て、幸せな顔でおやつを食べていたのが忘れられない。
嫁のはるみと、愛娘ひとみ(0歳)が面会に来ていた時の事だ。
ホールで談笑していた私たちの後ろを、よたよた歩きながらやって来て、ニコニコ笑顔でひとみをあやしていたのが印象的だった。
「年の差いくつだろう?」
と言った矢野介護士の言葉に、皆で笑った。
スタッフが来ると時々ガバッと起き上がって、「どこっ?」と叫ぶ、”ここはどこだ?”ということらしい。
スタッフが、
「じいちゃん、ここは桜桃病院よ、どこにも移さないから安心していいのよ」
となだめるとおとなしくなる。
そして例の「あだ〜〜〜〜!」である。
食後の薬を飲んだ後などによく発する。
良〜く聞くと「あたまがいたい」と叫んでいるような気もする。
誰かが気合を入れているとか云っていたが、薬がまだ効いていなくて、頭痛がひどいのだ。
この時にナースコールがよく使われるが、ゆっくりとやってきたスタッフに、
「薬が効くまでガマンしましょうね」
となだめられて終わる。
一度ガバッと起き上がり、私のベッドとの間を仕切るカーテンをザーッと開け、私の目を見て「どこっ?」と叫ばれた時にはびっくりした。
じいさまと一緒に風呂に入ったのは一度だけだったが、介護士 2人の至れり尽くせりの介助に満足し、ゆったりと湯につかって、しっかり寝ていた……。
さすが溺死者数世界一の国のじいさまだ!
※この文書は、限りなく真実に近いフィクションです。登場人物・団体は、モデルはありますが、架空のものです(‘ x ‘ )