65年目に


 その女性は、若い女性患者たちから”姉ちゃん”と呼ばれていた。おしゃべり大好きお姉さんである。

 私はホールのソファに座り、テレビのニュースを見ていた、そこへ後ろから「お兄さん」と声をかけてきたのが彼女だった。佐藤じいも一緒だ。

「お兄さんタバコ吸わないの?」
「いえ、吸いますけど」
「じゃ、一緒に行こうよ」

ということで、”姉ちゃん”と”お兄さん”と”じいちゃん”の 3人で、喫煙場所であるベランダへ出た。

 とにかく姉ちゃんはしゃべりまくる。

 姉ちゃんは若い頃はファッションモデルをやっていたそうで、昔の体型を維持するための食事制限の話をしながら、もうあんな辛い世界には戻りたくないと言う。なるほど、いまでは体型の方は少々ガッシリしてらっしゃるが、顔立ちは目鼻立ちのはっきりしたノーブルなタイプである。今のご主人は 2人目でトラックの運転手、今度自分のトラックを買おうと張り切っているが、車体が 80万で装飾が 250万ってどうよと怒ったり。特技は料理で、夢は自分の店を持つこと、と目を輝かせたりする。もうすぐ退院だそうで、特にどこか悪そうには見えない。入院して一番良かったことは佐藤じいと知り合えたこと。

 その佐藤じい、私の向いのベッドで、御年74歳、元『日本日々新聞』の記者で、最近物忘れがひどいと言う、認知症である。産まれはソウルで、旧制中学の頃終戦を迎えたと言う。色々と興味深い話が聞けた。ソウルにいた頃、父親は軍人で階級は別段偉い訳でもないのに、家にメイドさんが二人も居たと言う。日本はアジアの国々に対して、多大な迷惑をかけ、威張り腐っていたので、もっと他の国々に責任を感じなければならない! と非常に常識人で正視眼の持ち主である。

 三人ともスモーカーで、この日はひとり 2本ずつ灰にして話し込んだ。その後ホールへ戻り、さらに話し込む。

 私や姉ちゃんの仕事遍歴の話も出た、ふたりともよくまあ色々な仕事をしたものだ。その中で、私のあだ名は”マスター”に決まってしまった、マスターは経験ないんだけど……。

 佐藤じいの話では、終戦後、進駐軍の日本人女性に対する乱暴ぶりが特にひどかったが、それ以前に日本人もアジアの国々で同じことをやっていたのだ、と怒っていた。さらに終戦前後の話になったとき、広島と長崎に原爆が落とされたことで戦争が終わったと話す。私はこの発言を、そのままにしておくことができなかった。

 現在アメリカでは、核の力で世界大戦が終わった、一日も早い平和実現のために核の使用は非常に効果があった、と原爆の使用を正当化する意見が多い。これは非常に危険な思想で、核抑止論とともに、人類全体の意識改革をしなければならない重要な問題である。

 日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)で無条件降伏したのは、決して原爆のせいではない! 当時の日本の軍部政府はこの新型爆弾を、世界初の原子力爆弾であるとは決して認めず、旧ソ連を通じての和平交渉の道を手探りしている状態であった。

 当時日本とソ連は「相互不可侵条約」を結んでおり、そこを窓口にして和平交渉を進めようとしていた。しかしソ連は突如として「相互不可侵条約」を破棄して、日本へ侵攻を始めたのだ! 日本の軍部政府は慌てた、唯一の和平交渉の窓口はなくなり、四方を敵で囲まれてしまったのだ。日本政府は、ソ連参戦の報を受け、無条件降伏に同意することとなる。広島、長崎に原爆が落とされなくても、その時点で戦争は終わっていたのだ。原爆はただ無意味に、罪のない多数の一般市民を殺戮しただけで、平和実現の役には全く立っていなかったのだ! ドイツのユダヤ人虐殺や、日本軍の南京大虐殺と同じ戦争犯罪である。

「日本が降伏したのは、原爆のせいじゃなくて、ロシア(旧ソ連)が参戦したからでしょ?」
と私が発言すると、じいちゃんは、

「そうだ! そのことだけでも自分はソ連、今はロシアだけど、を赦すことはできない!」

とお怒りになった。言ってみれば当時のソ連は「勝ち馬の尻に乗った」訳なのだ。

 私たちの会話を聞いていた姉ちゃんは、

「マスター、あんた頭良いんだね」

と言うので、素直に「うん」と答えておいた。

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